〜人力車との出会いから すべては始まった〜
北原美希と相棒・人力車の【感動の軌跡(奇跡)】を綴っています。
和歌山で生まれ育った私は、2013年の春頃、ふと感じていたことがあった。
・・・もうすぐ和歌山を離れるかもしれない・・・
これまで一度も和歌山を出たことがなっかった私。
何の根拠もないんだけど、和歌山を離れるという感覚をよりリアルに感じれば感じるほど、私を育んでくれたこの土地や出会った人々、みんなに感謝が込み上げてきた。
それだけでこれまで見ていた世界は違って見えた。
そんなある日、伊勢で人力車をひく友人から電話が。
「美希ちゃん、人力車をひいてみないかい?」
「えっ?人力車をひく?どうゆうこと?人力車って乗るものじゃないの?」
友人から聞かせてもらったお話は、奈良県桜井市で町おこしのために人力車を導入する事になり、その友人は立ち上げに加わるけど、伊勢を長く開けるわけにはいかないので、あとを引き継いでひいてくれる人を探しているという。
そうは言っても、運動大嫌いだし体力ないし、それに24歳の時に子宮頸がんの手術をしてからというもの、極度の貧血が出たりして寝たきりに近い状態だった事もあり、すぐには答えを出せなかった。
そんなお誘いをもらったのが31歳の春。
人力車とか全く未知の世界で想像できない(笑)
とにかく体力に自信がなかった私は友人に聞いてみた。
「人力車って体力ないとひけないよね?ほんとにこれまでスポーツなんてしてきてないし、むしろ運動は避けてきてたから、、、」
ところが友人はこう言った。
「人力車をひくのに体力はそんなにいらないよ」
ホントに???と思いながらもやってみないとわからないというチャレンジ精神は昔から変わらない(笑)
やってみてダメだと思ったらその時考えればいい!!!
まずはチャレンジだ!!!
奈良県桜井市の町おこしで始める人力車。
そもそも桜井って聞いたことあるけどどんな所?
どういう人達と関わっていくの?
娘の学校のこともある。
ということで、6月のある日、伊勢の友人と待ち合わせをして桜井へ行くことに。
もちろん娘と一緒に行った。
そして、今後関わることになるであろう土地や町の方々、関係者の皆さんに会い、娘と話し合いをして決めた!
よしっ!人力車やってみよう!!!
2013年7月1日、和歌山市から伊勢に移住。
その年の6月までの前半と、7月からの後半では、まるで陰と陽というぐらい世界が変わった!
全く新しい場所、人、環境、、、
人力車の研修をする間の約3週間、娘の奏音(かのん)がお世話になった伊勢市立早修小学校。
先生も学年のみんなも初めての登校の日から仲良くしてくれて、、、
本当に良い学校だった。
当時の担任の先生は
「奏音さんはお母さんの仕事の都合でこの学校でみんなと一緒に過ごせるのは
夏休みに入るまでのわずかな時間です。短い期間ですが奏音さんがこの先大人
になった時にも、早修小学校に行って良かったな、あの時出会ったみんなと過
ごした時間は楽しかったなと思ってもらえるような10日間にしてくださいね」
と言ってくれた。
伊勢に移住して初めて人力車をひいた日、娘も私を乗せて人力車をひいた。
小学校4年、9歳の娘に乗せてもらう人力車は、それはもうなんとも言えない感動で、とても安定したひき方をする娘に、人力車をひいてみないかと誘ってくれた友人はこう言った。
「奏音ちゃんは、お母さんよりも人力車をひく才能があるんじゃない?ものすごく上手だよ」
人力車の研修を始めてしばらくしたある日、地元にある祭り用品屋さんへ行って
地下足袋や腹かけなどを購入した。
そしてついに現場デビューの日がきた!!!
その時乗ってくれた初めてのお客様。
一人旅だったんだとか。
お客様に喜んでもらった時の感動!!!
めちゃくちゃ嬉しかった!!!
早修小学校最後の日、担任の先生と校長先生に話をして、お楽しみ授業で2時間の枠をとってもらいました。
運動場に出るまで、子供達は何の授業かは知らされていない。
運動場に出てきた子供達はみんな
「キャー!人力車や~!」とテンションMAX!
人力車に乗ってもらい、みんなにも人力車をひいてもらう!そんな体験授業を通して思い出作り♡
お楽しみ授業の後、みんなと一緒に笑顔で集合写真!
最後の授業の日、その時住んでいた家でお楽しみ会を開いたら、クラスのうち半数の子供達がかけつけてくれ、娘はたくさんのお手紙やプレゼントをもらった。
私が作ったご飯やお菓子でみんなをおもてなし。
みんなと一緒に食べるご飯は美味しいし、楽しかった。
わずか10日ほど共にしただけのお友達なのにみんなホントに仲良くしてくれた。私たちはこの学校でたくさんの愛をもらった。
担任の先生が最初に言ってくれた言葉を思い出す。早修小学校での思い出は、
今も娘の記憶に刻まれている。
伊勢での研修を終え、2013年7月20日頃、奈良県桜井市へ移住。
道やコースを覚えるのに2日間研修で走り回ったら、3日間トイレの時以外起き上がれず寝込んでしまった。
そりゃそうだ(笑)だってこれまで運動嫌いで避けてきていた私(笑)
自分の体力の限界も知る由もなく、ただただやるべき事をやっていたら体が突然ショートした(笑)
そんな時、とろろめし山和さんがすぐに食べられるお惣菜や雑炊、茶碗蒸しを作ってもってきてくれた。
引っ越して間もない、まだ桜井に慣れない、友達もいない頃だったので、
「いつでも何でも遠慮なく言っておいで」と言ってくれたやまとさん、女将さん
には本当に支えてもらった。
寝込んでから随分回復したものの
まだ人力車を引けるほどの体力が戻っていない頃。
しばらく相棒(人力車)に会っていなくて
車庫まで相棒に会いに行った時の写真。
夏休み明けからお世話になった桜井市立三輪小学校。
学校が始まって、人力車で送っていった登校のある日の1枚。
桜井へ移住してすぐの頃、事務所と小学校が近くにあったので、朝一緒に家を出て娘は学校へ。私は事務所へ行っていた。
学校が終わると娘は事務所に戻り、そこで宿題をして、私の仕事が終わるのを待ち、一緒に家まで車で帰るという生活。
2013年9月中旬、桜井市の市長を迎え200名くらいの方が集まる中、人力車の出発式をした。
その時の様子を新聞に掲載していただきました。
9月の人力車の出発式からわずか2週間後の2013年10月9日。
突然左半身に力が入らなくなり、スマホを持とうとしたら落としてしまう。
MRIで検査をした結果、脳梗塞と診断され、桜井市の済生会病院に入院。
3週間にわたる点滴治療が始まる。
済生会病院では、
「人力車はもうひけないよ。
それから心臓の治療をするまでは、カラオケ行って大きな声を出したり、いきんだり、心拍数をあげるような激しい運動はしないでください。
今回の脳梗塞は軽度で済んでたまたま後遺症も残らなかったけれど、最悪死亡、または麻痺が残るからね。」と、念を押される。
桜井市の病院で、脳梗塞になった原因を調べる検査をした結果、
生まれつき心臓に空いた穴が原因だと発覚。
※脳梗塞というと一般的には動脈硬化が原因とされるが私の場合そういう所見は一切なく、貧血だと診断された。
原因から極めて珍しい脳梗塞という事で奇異性脳梗塞と診断された。
済生会病院へ入院が決まってから、和歌山から母が来てくれ、娘の学校の送り迎えをしてくれていた。
担当の先生から脳梗塞になった原因についてお話がありますと言われた時
「大事な話なのでご両親も一緒に聞いてください」と言われ、母と一緒に聞いた。
私は子供のころから走ったり運動したりするとすぐに息切れしてしんどくなったり、急に心臓が痛くなって呼吸がしにくくなる事があったので、先生から心臓に空いた穴が原因と聞かされた時は、「あ、やっぱりな~」という感じでショックというより、これまで感じてきた心臓の違和感があったので、原因がわかってスッキリした氣持ちだった。
むしろ、母のほうがショックを受けていたようだった。
※これまで心臓の違和感を感じるたび、24時間の心電図をとったりしていたが、不思議なことに異常なしと言われ見つからなかった。
済生会病院に入院中、和歌山、大阪、愛知、、、
たくさんのお友達がお見舞いに来てくれた。
早く元氣になってねと、たくさんのプレゼント。
脳梗塞になり、担当の先生が「もう人力車はひけないよ」と言われてしばらくしたある日、母がこう言った。
「先生も言ってたけど、美希はもう人力車をひける体じゃないんやから、治療が終わったら和歌山へ連れて帰るから!この間家族会議して決まったから!!」
それを聞いた私は病棟中に響き渡る声で(笑)
「は?何で?何で自分の人生やのに勝手に決められやなあかんの???もういい!和歌山帰れ~!!!」
怒り爆発、、、そして、、、やってしまったと落ち込んだ、、、
※入院中はこの先どうなるんだろうという不安と、人力車をひくために桜井に引っ越してきたのに出発式をしてすぐ何もできない状態になり、自分でもどうしたらいいかわからなくなって情緒不安定になっていたんだ、、、と今振り返って思う。
それで、いつも仲良くしてた看護師さん(お客様の感想の所にコメントをくれてるしのぶちゃん)に話を聞いてもらった。
「やってもた、、、」と言いながらわんわん泣いた。
看護師のしのぶちゃんは、どんな時も寄り添って聞いてくれた。
当時の私には、しのぶちゃんの存在が本当に心の支えになっていた。
2013年10月中旬、済生会病院退院。
その日母は来てくれたが、この間喧嘩した件についてはお互い触れず、、、
その後、天理よろず病院へ行くも、すぐの入院・治療とはならず、まずは通院して精密検査をしましょうと言われる。
母とは退院して天理よろずで別れてから音信不通となる。
そこで心臓の治療について3つの選択肢を与えられる。
①昔ながらの外科手術
この手術は、天理よろず病院に在籍中のスタッフが担当できるため、すぐにでも手術できる。
メスで切って心臓の穴が開いた部分を直接縫合するため、傷跡は残るがこれまでの実績がたくさんある一般的な手術。
②薬を飲み続ける治療
心臓の穴を塞ぐ事はせず、血液サラサラにする薬を飲み続けることによって、完治はしないが脳梗塞になるリスクを減らす。
③カテーテルによる手術
太ももの付け根からカテーテルを入れて、心臓にあいた穴をチタンの医療器具で塞ぐ手術。
まだ日本でこの手術ができる医師が少なく、この手術を希望する場合、岡山県から経験のある医師に来ていただき、手術することになる。
臨床結果も少ないため、20年後、30年後はどうなるかというデータは出ていない。
カテーテルのため、傷跡は残らないし、外科手術に比べ比較的早く退院できる。
手術後、半年間は血液をサラサラにするお薬を飲む必要があるが、検査して問題なければ薬は飲まなくていい。
私は、済生会病院を退院してから今後の事について、そして心臓の治療法について色々考えていた。
特にその頃、引き続き親とは音信不通で精神的にも不安定な時期。
誰にも会いたくない、出かけるのは近所のスーパーくらいといった感じで、俗に言う「引きこもり状態」だったと思う。
そんな中、ようやく与えられた選択肢の中、自分が望む治療法が決まる。
③のカテーテルによる手術だ。
天理よろず病院の先生から、入院・手術のお知らせが来たのは2014年1月の事。
2月下旬に岡山県から先生が手術をするために来てくれることになったのだ。
その日を迎えるまでの自宅療養の約4カ月間は、本当に本当に長く感じた。
天理よろず病院へ入院する1週間前、奈良県葛城市の磐城小学校で人力車の授業をした。
体育館で、実際子供達に人力車に乗ってもらう体験と
子供達がお友達を乗せて人力車をひくという体験授業。
ドクターから激しい運動はダメと言われていたので、ゆっくり歩いてサポートさせてもらった。
その後、天理よろず病院へ入院。
登山感覚でリュックを背負って病室が6階だったので、「6合目へいってきまーす」と楽しむ様子。
天理よろず病院へ入院する際、娘と二人で行ったが「小さいお子さんを病院に泊めるわけにはいかない」と言われる。
二人暮らしなので、娘をみてもらえる人がいないと伝えると、特別に個室を用意してくれた。
※母とはあれからも連絡がつかないままだったので、娘と二人で合宿氣分で入院したのだった。
しかし、手術後ICUに入ることになる。
ICUは中学生以下の子供は入れないなど聞いてなかったので知らなかった。
どうにもならない状況の中、桜井の「とろろめしやまと」さんに連絡し
手術の日一晩娘を泊めてもらうことに。
10月に済生会病院を退院してから、自宅療養期間が長かったのも理由があった。
私が望んだカテーテルによる心臓の穴を塞ぐ手術は、まだ日本でその手術を出来る医師が少なく、岡山県から先生に来てもらっての手術だったからだ。
天理よろず病院から連絡があったのは2014年の年明け。入院日が2月26日。翌日27日が手術の日だった。
朝から手術室に入ってICUに入ったのが昼頃。
目覚めた時、麻酔で少し氣持ち悪かったのと、心臓に少し違和感があった。
なんというか、不整脈じゃないけれど、穴を塞ぐためにチタンの医療器具が埋め込まれたからだ。
きっと、心臓さんはびっくりしたんだと思う。
ずっとこのままの違和感なら、手術は失敗なんじゃないか!?と思ったが、数日もすれば落ち着いた。
手術した日、ICUで看護師さんが渡してくれたもの。
それは、1週間前人力車の授業をさせてもらった子供達からの感想文だった。人力車の体験授業を企画してくれたお母さんが病院に来て看護師さんに預けてくれたのだと、一緒にいただいた手紙で知った。
全身いろんなチューブに繋がれて動けない状態で、1枚1枚子供達からの感想文を読んでいく、、、
中には「将来俥夫になりたいです」という言葉もあり、私は一人心拍数を刻む音しかしないICUで号泣した。
手術した翌日の午後から一般病棟に移動することになった。
先生が来て「昨日の手術では太ももからカテーテルを入れたんですが、太い管だったので出血を防ぐため、足の付け根を縫ってあります。出血も止まってそうなのでこれから抜糸しますね。」
私は、「抜糸?そんなの聞いてないよ~状態(笑)」
手術の時は全身麻酔だったし痛みも感じなかったけど、抜糸とかこういう痛みのほうが苦手な私、、、
しかしそんな私にお構いなしに「では今から抜糸しますね~」と先生は言った。
その瞬間、これまで一定のリズムを刻んでいた心拍数が急に速くなった。そして異常な心拍数に機械が反応し、ピコン!ピコン!と警告音が鳴った(笑)
※体って正直ね(笑)やはり私は嘘をつけない体質らしい(笑)
先生は「北原さん、大丈夫ですか?心拍が一氣に上がりましたけど、、、」
「私、ほんとにこういうの苦手で、、、抜糸したくない。怖いもん、、、今は抜糸しなくても溶ける糸もあるのに???」
「すぐ終わりますからね、ちょっとの我慢ですよ!」
ようやく抜糸は終わったが、両掌は緊張したせいで汗びっしょり(笑)
ふぅ~難関突破(笑)
その後、一般病棟に移動。ICUではスマホは持ち込み禁止だったのでようやく「手術終わり無事生還!」とfacebookに投稿すると、みんなからいただいたコメント数が過去最高となった☆
2月27日、無事心臓の手術が終わった。
と同時に私は人造人間になった(笑)
なぜなら、心臓に空いた穴をチタンの医療器具で塞いだからだ(笑)
手術から一週間後、ひなまつりのご飯をいだたき、晴れて退院!
退院当日もらったシリアルナンバー入りカード(笑)人造人間に与えられるカードだ(笑)
こうして、この日を境に私には「年に2回の誕生日」ができた!(笑)
1つは、この世に生を受けた誕生日!
もう1つは、人造人間になった誕生日!
なんとめでたい♡♡
無事心臓の手術も終わり、退院したその後。
当初、人力車で町おこしに関わらせていただくことになったのも契約期間があった。
本来であれば、その契約期間中に基盤を作り、春から独立するつもりで進めて行くはずだった。
ところが、桜井に来て出発式をして間もなく脳梗塞、そして心臓の手術、、、
桜井での生活は、ほぼ治療で終わったようなものだった。契約期間も終わる、、、。
私はひとまず地元和歌山へ帰ることにした。
桜井で何も残せず和歌山へ帰ることに、なんともいえない悔しさがあった。
心臓の手術前に小学校でさせてもらった人力車の授業。
その時の様子、そして現在の私の事を朝日新聞さんが記事にしてくださった。
coming soon...